久生十蘭「魔都」ISBN:4022640634

 以前、ちくま文庫の「久生十蘭集」の特に冒険ロマンものを気に入ったため、「すべての探偵小説を超えたスーパー都市迷宮小説!」と銘打たれた本書も「是非とも読みたい!」と思ったために買った一冊ですが、ストーリーは、

 帝都東京、大晦日の深夜、滞日中の仏領インドシナ安南国の皇帝、宋龍王の愛人が謎の墜落死を遂げると共に、皇帝自らも失踪する。現場の状況から、皇帝による犯行という見方が強まる上に安南国の秘宝「帝王」の行方も不明ときて、フランスとの関係を憂いた日本政府は、この事件を「愛人による自殺」と確定すべく捜査するよう、警視庁へ命令を下す。しかし、敏腕と名高い真名古警視は己の信念から、たとえ外交関係が悪化しようとも捜査によって皇帝による犯行が確定されれば、皇帝を逮捕することも辞さぬ構えを見せる。
 また、政府は帝都東京において宋皇帝が失踪するという醜聞を抑えるため、偶然居合わせた新聞記者、古市加十を皇帝に成りすまさせる。帝都ホテルに軟禁状態の古市加十は、普段より三流新聞と揶揄される夕陽新聞をメジャー新聞へと押し上げるべく、皇帝による愛人殺害というスクープを是が非でもすっぱ抜こうとアレコレ姦計を画策するが・・・。
 デマ・誤報・密告が錯綜し、元旦の首都東京は未曾有の大混乱に陥る!

 とまあ、このような感じです。
 物語は一日の内に起こる事件の顛末を描いていますが、「フロスト警部シリーズ」のように実に長い長い一日になっています。本格ミステリ小説を読んだ時のようなカタルシスを感じる小説ではないように思えますが、「魔都・東京」のどこか薄暗くて妖しい雰囲気や、人々の思惑が錯綜し、混迷の一途を辿る物語には引き込まれることは必死だと思います。また、作者の語り口のどこか飄々として、ある種読者を舐めているような、とぼけた具合も素敵でニヤリとします。
 「東京をなぜ魔都と呼ぶのか?」という点では、以下の一説がありますが、

 見渡せば、大東京は朧月の空の下に甍甍をならべ、その際は淡い靄の中に溶け込んでいる。右手に黒くおし静まっているのは日比谷の森、駿河台の方に薄暗く輝く白亜の建物はニコライの聖堂であろう。
 日比谷の向こうの長い水平線は一種夢幻なる光暈に包まれ、緑の、青の、赤の、黄色の、明滅する、旋回する、飛発する、ありとあらゆる種類のネオン・ランプが雲を焦かんばかり、五彩の飛瀑がそこに懸かるかとも思われる。
 省線電車は高架線の屋根の上を轟然と驀馳し、砥道の谷底をトラックとタクシーが紛然と矢のごとく行き交う。・・・・・・あらゆる物音は雑然混然と入り混じり溶け合い、大空をどよもして大都会の小夜会を奏するのである。
 広牽八里のこの大都会の中には無量数百万の生活が犇めき合い、滾り立ち、いま呱々の声を上げ、臨終の余喘に喘ぐ。ある者は陰険な謀殺を完了し、あるものは脳漿を撒き散らしてこの世の生を終わろうとする。大都会こそは阿修羅地獄絵図の図柄そのままに、阿鼻叫喚の苦悩図を描き出す。この甍の一つ一つの下にどのような悲劇が起き、どのような罪悪が秘められるか、ほとんどそれは測り難いのである。この大都会で日夜間断なく起こる様々な犯罪のうち、社会の耳目に触れるものはその百千分の一にも過ぎず、他の凡百の悪計と惨劇はわれわれの知らぬうちに始まり、われわれの知らぬうちに終わる。(P246-247)

 まさしく、「魔都」と呼ぶのにふさわしいのではないでしょうか?
 ・・・これはもう「十字街」も「黄金遁走曲」も読まずに死ねるか!という感じですね。