「僕の眼鏡を知りませんか?」
 ――君の額に乗っかっているのは何なのだろうね? という言葉が喉まで出かかったのだが、僕は彼の憂いの帯びた、どこかあどけなさの残る顔を見て、ほんの少しの間だけ彼を騙してみることにした。
「さあ、見なかったけど、どこかに置いてきちまったのかい?」
「あれ? 今日は少し鼻声のようですね。風邪を引かれたのですか?」
「うん…まあ、それで眼鏡を無くした件だったかな」
「はい、実は昨日、飲み会でQ先輩と別れた後の記憶が一切ないもので困ってまして…。僕はどれだけ酔っても眼鏡をしたまま寝てしまうということはありませんので、寝る前に必ずどこかで外している筈なのですが、家の中、部屋の中とあちこちひっくり返して捜してみましたけれど、どこにもなかったのです。僕は裸眼では0.1以下しかありませんので、ひょっとするとどこかで見落としている可能性があるのかもしれませんが、家にはどうも無さそうなのです。帰り道のどこかで落としてしまったことも充分にありえますけれど、家まで一人で帰るのは真夜中だったこともありますし、裸眼のままでは無理だったような気もします。ただ、やはり記憶があやふやなのでもう一度確認の意味を込めてお尋ねしますが、Q先輩との別れ間際で僕は眼鏡をかけていましたか?」
 ――君はまだ完全に頭が働いていないようだけれど、ちょいと額を触ってみてはどうだろうか? 
 と、この時点で彼に眼鏡の所在を教えてしまっても良かったのだが、
「どうだっただろうか。僕も大分飲んでいたからね。君との別れ際の記憶はあまり自信が無いんだ。僕だってどうやって家まで辿り着いたのか不思議な位なんだよ」
 やはりもう少し意地悪を続けることにした。
 彼は眉間にしわを寄せ、しきりに目を瞬かせながら、そうですか…わかりませんか…、とぶつぶつ呟いていたが、やがて落胆したらしくガクッと頭を垂れたのだった。
 ――アッ…。
 と思った時にはもう遅かった。彼の額にあった眼鏡はずり落ちて、鼻の上にちょこんと収まった。
 彼は電気に打たれたように顔を上げると、僕の顔を見て叫んだ。
「嗚呼ッ。あなたは誰だ。Q先輩では無いではないか!」
「ハハハッ。ようやく目が覚めたようだ。君はとんでもないおっちょこちょいのようだね。眼鏡の件もそうだが、僕とQ君は多少声が似ているかもしれないが、僕は彼ほど美男子ではないよ。いくら眼鏡が無いとはいえ、僕をQ君と間違えるってのはQ君に対して失礼じゃないのかね?」
 僕はそう言い放つと、呆然としたままの彼を残し、かろやかな足取りでその場を去った。