シオドア・スタージョン「海を失った男」

 なんだか読んでいていろいろと考えさせられました。
 幻想的でぼんやりと夢を見ているような気分にさせられる作品から、観念的な難しい話など様々な話がありましたが、「成熟」や「そして私はおそれつのる」などは、自分の普段使わない頭をフル回転させて読まねばなりませんでした。それでも理解できたかどうか怪しいですが。全体を通して「陰と陽」、「表と裏」のような相対する関係にあるものや、「音」に対するこだわりのようなものを感じます。
 記号の羅列である文字を意味のあるものとして変換する作業というのは、普段当たり前のこととして行ってますが、「墓読み」のように文字以外のもの、墓のまわりの土の盛り上がり方や鳥の囀りといったものにもある種の法則性があり、それらを読むことでその人の人生のすべてを読み解くことができるという話を読むと、一見混沌としているようにみえる事象にもある法則性があって、その法則性を読み取れるかどうかが普通の人と超能力者と呼ばれている人とを分けているのだろうか? とどうでもよいことを考えたくなります。
 下手の考え休むに似たり。
 やはり「ビアンカの手」や「海を失った男」のような幻想的な話の方が好きですね。
 最近、自分がいかに思考停止しながら本を読んでいるのかが明らかになってしまった一冊でした。